トップページ

日本家の教会ミニストリー理事長ごあいさつ

家の教会の目指すのは新約教会の回復

野口師

日本家の教会ミニストリー代表 
野口富久(日本同盟基督教団松原聖書教会牧師)

 「家の教会」とは、信徒が指導者となり、信徒の家で集まる教会を言います。新約聖書を読んでみると、当時の教会の姿が「家の教会」であったことを見出します。
 初代教会では、信徒が牧師のように献身し、自分の家で共に集まり、牧会したようです。「家の教会」を牧会していた信徒の良い例が、プリスカとアキラです。彼らは、パウロと同じく天幕作りの仕事をしていました。彼らのことをパウロはこう言っています。「キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。…また彼らの家の教会によろしく伝えて下さい」(ローマ16:3-5)。この箇所は、プリスカとアキラの家で、この夫婦をリーダーとして「家の教会」が行われていたことが分かります。またパウロは、コロサイの教会に手紙を送りながら次のように言っています。「どうか、ラオディキアの兄弟たちに、またニンパと彼女の家にある教会に、よろしく伝えてください」(コロサイ4:15)。
 コロサイではニンパという姉妹の家で集まる「家の教会」があったようです。ピレモンに手紙を書きながらパウロは言います。「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ」(ピレモン1:1-2)。ピレモンの家でも「家の教会」として集っていました。
 このような箇所を通して初代教会の姿が分かります。各都市に教会がありました。でもそれは、家々で集まる多くの「家の教会」の集合体だったようです。

 現代の「家の教会」のリーダーの一人であるチェ・ヨンギ師は言います。「『家の教会』は、弟子たちが作っていった一時的な教会の形ではなく、イエス様が目指されていた教会そのものであり、イエス様が願われた教会とは、家族の共同体、『家の教会』であった。」
 私は、初代教会の「家の教会」は、当時会堂もなく迫害があり、落ち着いて信仰生活を送れるような状況ではなかったので、信徒が家で集まるというスタイルになったと思っていました。しかし、これがイエス様の望んでおられる教会の姿であると知り、感動しました。
 教会の存在目的と言われる「宣教と弟子化」においても、「家の教会」は、用いられます。日本人にとって、教会の敷居は高く、余程のことがない限り自分から教会を訪れることはありません。ところが、信徒の家での食事と交わりなら、グンと参加しやすくなります。そこで信頼関係を築くことが出来れば、集いのベースにある聖書と信仰を証しすることが容易になります。
 また「弟子化」という面においても、「家の教会」に集うメンバーが、互いに愛し合い、持てる賜物を発揮して、未信者に仕えることを通し、「弟子化」が進んで行きます。
 「家の教会」の目指すのは、新約教会の回復です。